「すみだ北斎美術館」平成28年開館・プレ特別記念企画
―江戸すみだ発 北斎感覚―
2014年10月5日(日) 15:00開演(14:30開場)
「暗闇の音のキオク」
この度「暗闇の音のキオク」企画の暗闇のプロデュース及びファシリテートを行う事になりました。
その「暗闇の音のキオク」の公演に先駆けて、北斎感覚とな何なのか?
そこから私たちが学べることは何かを探っていきたいと思います。
まず、北斎感覚という言葉は、
すみだトリフォニーホールの吉水と暗闇プロデューサーたむらひろしで創った造語で、
北斎の持っていた感覚や北斎から受ける感覚とは何かを表すキーワードです。
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浮世絵師の葛飾北斎は、米雑誌「ライフ」は1999年の特集企画で
「過去1000年で最も偉大な功績をあげた世界の100人」に
日本人として唯一86位にランクインした人物です。
北斎は1760(宝暦10)年9月、武蔵国葛飾郡本所割下水
(江戸・本所割下水)、現・東京都墨田区の一角にて、貧しい百姓の子として生を受ける。
本所はもともと葛飾郡に属しており、のちに葛飾の姓を名のった。
驚くべきエピソードは数知れずあるが、
北斎は『富岳百景』を発表した、しかし、広く世に知られているのは、
この作品よりもむしろ、尋常ならざる図画への意欲を著した跋文(後書き)である。
「己6才より物の形状を写すの癖ありて、半白の頃(ころ)より数々画図を顕すといヘども、七十年前画く所はやや実に取るに足るものなし。七十三才にして、梢(やや)禽獣虫魚の骨格、草木の出生を悟し得たり。
故になお八十才にして益ます進み、九十才にして猶其奥義を極め、一百才にして正に神妙ならんか。百有十才にしては一点一格にして、生るが如くならん。願くは長寿の君子、予が言の妄ならざるを見たまふべし。画狂老人卍述」と。
つまり
「私は6歳より物の形状を写し取る癖があり、50歳の頃から数々の図画を表した。
とは言え、70歳までに描いたものは本当に取るに足らぬものばかりである。
(そのような私であるが)73歳になってさまざまな生き物や草木の生まれと造りを
いくらかは知ることができた。ゆえに、86歳になればますます腕は上達し、
90歳ともなると奥義を極め、100歳に至っては正に神妙の域に達するであろうか。
(そして)100歳を超えて描く一点は一つの命を得たかのように生きたものとなろう。
長寿の神には、このような私の言葉が世迷い言などではないことを
ご覧いただきたく願いたいものだ。」
と書き記している。
暗闇プロデューサーたむらひろし
参照:wikipedia