2025年11月21日金曜日

ポコペン舞子 25周年企画 『いちど会おう』レビュー

 


25周年企画
ポコペン舞子『いちど会おう』レビュー 

公演日時
2025年11月16日(日)14:00/18:00

会場
神楽坂セッションハウス

出演者情報
小山綾子、川端慈、杉田亜紀、箕島桂、宮崎喜子

タタミスタジオのタムラです。今回、ハタチのポコペン舞子を知る私が25年後のポコペン舞子作品を勝手にレビュー致しますので、ご興味がある方はお読み頂ければ幸いです。

『いちど会おう』——時間をまとった身体たちと再会するという何か、

ポコペン舞子25周年企画『いちど会おう』は、単なる思い出的記念公演ではなかった。
それは、25年間という時間を悩んで苦しんで面白がってきた仲間が、身体と心そのもので紡いで再びひとつの空間で共振する「再会の儀式」のように、確かめながらはじまった。

舞台に立つポコペンは、かつて20歳で活動を始め、いまや45歳になり、再び集まって踊り始めた。その時間の重みは、振付や構成以上に、身体の佇まい、呼吸、沈黙、そして目線の在り方に舞台上で深く刻まれていた。

「再会」というテーマの内側で踊る“時間というレイヤー”
『いちど会おう』という言葉は、単に久しぶりに会う、という意味だけではなく、
「かつての自分と会う試み」「あしたの自分と会う試み」「互いの時間にふれあう試み」という、多層的な再会の試みを感じさせた。舞台の中で交わされるダンサー同士の微細な視線、ふれあい、ぶつかりあいは、別々でも長く活動してきた身体同士にしか生まれない記憶の共鳴のように思えた。そこには若さの勢いではなく、歩んできた道のりの分だけ増えた「余白」や「間」が、新たな輪郭を生んでいた。

コンテンポラリーダンスって何?を自分や他人に問い続けながら踊り続ける。という強味。
ポコペンのダンスは身体能力の高みを目指す方向性よりも身体から自然に表れる非行為的なコミカルさによる表現が魅力だろう。その強味が、45歳になった事で、さらに作品に深みを与えていると感じる。
また変わりゆく身体そのものを作品の素材として差し出す勇気を持っていた、それは年齢を重ねても踊るとは、「老い」を隠すことではなく、むしろ変化した身体で表現を更新していくという創造の持続である事に気づいたのだと思う、それはそれで、とても苦しい作業だっただろう。しかし、継続したという事実は、ダンスが単に消耗する身体表現ではなく、人生の時間を携えて進化し続ける表現であることも気づいたのかもしれない。

観客が体験するのは、身体表現のみならず、思い出を共有するドラマか?
『いちど会おう』を見て強く感じたのは、ダンサーの身体表現を見ているようでいて、実は、積み重なった時間を感じさせられているということだ。
仲間と再会するという表層のテーマの奥で、観客と自分自身を再会させる作品でもあった。20歳の頃にあった、自分から湧き出る、失われた感情、置き去りにしてきた思いや、意味もなく不安な思い、意味不明な行動や何をやっても面白くなる感覚、不条理な心理状態等々、それらが彼女達の現在の身体表現と共鳴するように呼び起こされる。

『いちど会おう』という呼びかけた先は、彼女たち同士に向けたものでもあり、観客に向けたものでもあり、観ている人たちが忘れていた過去の自分に向ける言葉でもあるように思えた作品だった。
タタミスタジオ代表タムラ



2025年11月8日土曜日

北村明子 Xstream project 2『THE LONG STRONG HAPPY DEATH』レビュー


Xstream project 2

THE LONG
STRONG HAPPY
DEATH

構成・演出・振付・出演:北村明子

2025年11月1日(土)~11月3日(月・祝)
会場:シアタートラム

 タタミスタジオのタムラです。今回、北村明子作品の中でも特に感銘を受けましたので、勝手にレビュー致しますので、ご興味がある方はお読み頂ければ幸いです。

『THE LONG STRONG HAPPY DEATH』ー 何度でもやってくるカタルシスとクライマックス

 この作品は単なるダンス作品ではなく、「記憶」と「死」が交錯する無意識の風景を、身体を媒介として可視化する実験的な儀式のように感じられた。舞台上の身体は、生と死の境界を往還しながら、失われたものの「残響」として動き、その姿は「個人的無意識」と「集合的無意識」の間を漂うアーキタイプのようであり、観客はおのずと自らの深層心理を投影せずにはいられないだろう。

作品全体に流れるのは、「死」を終焉ではなく変容のプロセスとして捉える姿勢を感じ、タイトルに含まれる“Happy Death”は、勝手に解釈するとタナトス(死の欲動)としての破壊ではなく再生の契機として受け止める心理的成熟を象徴していると感じられた。また武闘的な動きの中で、身体は何度も「崩壊」し、再び何度も「生成」される。これはまるで、“繰り返し衝動(repetition compulsion)”が昇華へと変わる瞬間を思わせる。

照明の明滅や音響の変化は、記憶の断片化を象徴しているように見え、美しい轟音と暗闇の中で浮かび上がる身体は、忘却と想起のはざまで揺らぐ記憶のイメージそのものに感じ、観客は自らの内に眠る喪失の記憶を、身体への振動として追体験させられる。観る者の心は、舞台上の身体に“投影”され、他者の死を通して自己の「生の意味」を問い直す様に設計されたのかもしれない。   

北村作品の通底するテーマとして「身体が語る無意識」というダンスとしての核心があると感じている。それは言語化される前の情動、あるいは記憶の前駆的断片等、舞台が進行すると、それらが身体の震え、息づかい、重力への抵抗感として目に見えるものと変化していく、それと共に本作品の凄さは、音響と身体性との一体感だろう。抑圧された感情が何度も浄化されていき、わかりやすくカタルシスのプロセスを目の当たりにしたところだと感じている。

そして最後に感じられたのは、「死」への恐怖の昇華ではない、おそらく観客に残るのは、恐れではなく、静謐で透明な感情による”幸福な死”という逆説的な言葉が意味する生の深度への覚醒だと思わせたところだ。ぜひ北村作品を体感して頂きたい。

タタミスタジオ代表タムラ


前作のxstream project 1 『soul hunter』が公式にyoutubeにありましたので
ご参考までに