2026年9月30日水曜日

「失われし時を求めて」を踊り切った50代のバレリーナについて

 


大人バレエ「ルフレダンスフェスティバル」にてプルースト作 ローラン プティ振付「失われし時を求めて」を踊り切った50代のバレリーナについて


その舞台を見ていると、若いダンサーのような身体能力だけでは語れない、「踊り続けてきた人にしか出せない美しさ」が確かに存在することに気づかされる。
私がとりわけ印象的だったのが、高速で後ろに下がるパ・クリュである。
パ・クリュは、一見すると小さなステップの連続に見える。
しかし、実際には細かな足さばきを正確に保ちながら、身体の軸を崩さず、音楽の流れに乗せて移動していかなければならない。
若い身体なら勢いで処理できる部分も、大人の身体ではそうはいかない。だからこそ、このバレリーナのパ・クリュには説得力があった。足が動いているだけではない。身体全体が「踊ることを覚えている」という世界観を有している。

50代になってバレエを踊るということは、単純に「若い頃と同じことをする」ことではない。筋力は少しずつ変化する。柔軟性を維持するにも時間が必要になる。疲労が抜けるまでの時間も若い頃とは違う。
そして、以前なら無意識にできた動きにも、丁寧な準備や身体への理解が必要になる。さらに難しいのは、技術だけではなく、気力を維持することだ。
仕事の業務や日常生活を続けながら、レッスンの時間をつくる。身体が重い日にもスタジオへ行く。
昨日できたことが今日はできないこともある。それでもバーにつかまり、プリエをして、タンデュを繰り返す。
この「特別ではない一日の積み重ね」が、やがて舞台の上で大きな差になる。
今回の「失われし時を求めて」という作品名も、実に象徴的である。

時間は失われていく、おそらく若さも、体力も、身体の軽さも、昨日まで当然だったものも、
少しずつ変化していく。しかしダンス全般には不思議なところがある。
失われていく時間の中で、積み重ねた時間が身体に残っていく、といった結晶性知能の様なものが存在する。
だから50代のバレリーナが舞台で見せる一つのステップには、その一瞬だけでは測れない時間が含まれている。その足元には、何度もレッスンを繰り返してきた時間がある。
うまくいかなかった日の記憶も、身体が思うように動かなかった日の悔しさも、それでも続けた年月も、すべてが凝縮されている。
若いダンサーの踊りが「可能性」を感じさせるものだとすれば、大人のバレエには、「時間そのものを踊る」ような魅力がある。
しかし、ともすれば、大人バレエを「介護バレエ」なる揶揄する様な言葉も存在する。
そうならないように50代で舞台に立つことには相応の体力が必要だ。
振付を覚え、音楽を身体に入れ、何度もリハーサルを重ね、本番では緊張の中で最後まで踊り切らなければならない。
しかも、本番の舞台では「今日は少し疲れているから」という言い訳はできない。
照明が入り、音楽が始まれば、そこには一人のダンサーとして立つしかない。
そこで最後まで踊り切ったという事実そのものが素晴らしい。
そして何より評価したいのは、「技術的にできるから続けた」のではなく、「続けたからからこそ、出来る表現が生まれた」ということ、
これは大人バレエに限らず、すべての大人になってからのダンスの核心ではないだろうか。

若い頃には、才能や身体能力が大きな武器になる。
しかし年齢を重ねるほど、才能だけでは説明できないものが舞台に現れてくる。
それが*継続によって培われた身体感覚である。
一回のレッスンで劇的に変わることはない、一週間では分からない、
一か月でも、おそらく大きな変化は感じない。
けれど一年、五年、十年と続けていくと、身体の中に少しずつ「ダンスする人の身体」が形成されていく。
姿勢、軸、音楽への反応、足先の意識、呼吸、重心、
そして、舞台上での精神的な落ち着き等々、これらは一夜にして手に入るものではない。
だからこそ、50代のバレリーナが「失われし時を求めて」を見事に美しく踊り切ったことは
単なる「50代でも踊れてすごい」という評価を超えた価値があると思う。

それは「時間は失われる。しかし、時間をかけて身につけたものは、身体の中に宿る」
という、大人が踊るという哲学を体現しているように思える。
ダンスは、若さだけの芸術ではない、もちろん若い身体だからこそ可能な跳躍や回転もある。しかし、大人には大人にしか表現できないものがある。
長く続けてきた人の立ち姿には、その人が積み重ねてきた時間が見える。

プルースト作「失われし時を求めて」を踊った50代のバレリーナの姿は、失われていく時間に抗う姿ではない。むしろ、流れていく時間を受け入れながら、その時間を一つひとつ自分の身体に刻み込み、最後にはそれを自身の踊りとして返していく姿だった。

                               バレリーナ 山田史へ
タタミスタジオ代表 タムラひろし


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